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cacophonyを聞きながら
当たり前のようにぽルカですが何も問題はありません
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『新曲、ですか』
<right、よく分かったな>
ディスプレイ越しに指を鳴らす音が聞こえてくる。VOCALOIDエンジン内に送り込まれたMIDIのデータに指を当て、ルカは其れをまねるようにして一つ音素を飛ばした。
緩やかに流れるメロディは、二つのトラックに分かれて螺旋のように絡み合っている。独唱、特に英語での歌い上げを得意分野とする所有主にしては珍しいラインだった。
とはいっても何度かデュエット曲を作ったこともある。無理矢理に男声まで担当させられた時のことを思い出し思わず軽く眉を寄せていると、そんなルカの様子を知ってか知らずか、所有主はいかにも弾んだ手つきでそのうち一つのトラックをルカに読み込ませた。
まだ歌詞の載っていない、音だけの羅列。
平坦なそれを軽くなぞってから、ディスプレイの向こうを見上げる。
『マスター、歌詞は入力なされないのですか?』
<まぁちょっと待てって>
やけに楽しそうな声音である。なんだか嫌な気がして、しかしてルカはじっとりと画面の向こうへ視線を投げるだけに留めた。
そうして少しもしないうちに、ルカのすぐ隣にもう一声のVOCALOIDが現れる。
頭頂で括り上げて猶腰より下るような長い藤色の髪と、それと同色の睫毛に縁取られたマリンブルーの瞳。両方の意味で時代錯誤とも取れるような不可解な衣装に身を包んだ彼――恐らく男声であろうVOCALOIDならば、其れで間違っていないはずだ――は少しだけ困惑したようにルカに微笑みかけた。
このPCにダウンロードされているVOCALOIDは、ルカだけのはずである。
起動されてから一度も体験したことのない状況にルカはぱちくりと瞬いた。
『ま、マスター、この方は』
<今回の曲じゃルカに男声を出させるのも無理があるかと思ってな。声の親和性も高いって聞いたし、入れてみた。お前の一つ前身に当たるか。artist vocal01:gackpoid……えーっと、がくぽ、だ>
その言葉を受けてか、彼は緩やかな笑みを象ってルカに向かって手を差し伸べた。握手、とディスプレイの向こうから言われ弾かれるようにしてその手を握る。
初めて触れる他者の体温は、自らの物よりも随分と暖かで、ルカの手を容易に包み込んでしまうほどに大きかった。
そうしてつなぎ合った両手を軽く上下し、がくぽは口を開く。
「 」
恐らく、
『え……?』
「 ……?」
彼は、がくっぽいどは、宜しくだとか、そういった言葉を吐いたのだろう。
しかしその言葉はルカの認識には届かず、ただ音素の羅列であるという印象しか残さなかった。母音と微かな歯擦音のみで構成されたその音の意味は取れない。
決定的に何かが違う。それがなんなのか、ルカには理解が及ばない。
ただ、その音の連なりでさえ美しいと感じられるほどに、がくっぽいどの声は美しく、その事実だけがルカを打った。
重ならない声
一通り歌詞の打ち込みを終えると、微調整も程々に所有主はVOCALOIDeditorを終了する。そんじゃ、適当に練習しといて、そう言ってがくぽとルカをそれぞれのフォルダへ送り遣ると、忽ちDAWを立ち上げてオケの再調整を始めてしまった。どちらかというと調整作業よりも音遊びの方を好む所有主にとって、巡音ルカやがくっぽいどといったVOCALOIDは『パートナー』というよりも『人声の素材元』という意識が強いのだろう。少なくともルカはそう認識していた。
そうして手の空いてしまったルカは、何となく手持ち無沙汰になってしまったような気分でディスプレイの向こうを見上げる。
がくっぽいどは、手渡されたデータを流暢に歌い上げて見せた。音取りの間中もその音の意味を理解することはとうとう出来なかったが、単純な歌唱能力が非常に高いことだけは取って分かった。
どうにも、使っている言語が違うかのような違和がある。ハ―モニーを絡め、メロディを流し、同じテンポを刻んでいるというのに、何かが違って仕様がない。
なにが違うのだろうかと考えるものの、ふと考えたその先に何があると気づきルカの思考は停止した。
所詮自分はアプリケーションソフトウェアの内の合成音声の一声だ。他の声とコミュニケーションを取ったところで、所有主になんの利益が生まれるというのだろう。
『今、わたしは、』
何を考えていた?
がくっぽいどと握り合った右手を見つめる。
包み込まれるように大きく、骨ばった手。
その体温がまだ残っているようで、思わず手を握りしめたところでフォルダの扉がノックされた。
「 、 」
『――……なんでしょうか?』
ひょこりと藤色が現れる。その手の中には先ほど手渡された音楽データ。
「 、 」
『あぁ、マスターはいつもわたし達の調整は二の次ですので、そこまで入念な練習は必要ないのですよ』
「 、」
『不安になる思いも分かりますが、わたしたちの不備はご本人で補ってしまうような方なので……ですが、そうですね、練習くらい、してもお困りにはならないでしょう』
ほら、大丈夫だ、とルカはデータを引き出しながら思う。
元々同じエンジンを搭載しているのだから、ある程度ならば意志の疎通が出来る。
どうにも食い違っている感は否めないが、だからと言って困ることは、ないはずだ。
はずだった。
<合わない>
「『……」』
<……俺の打ち込みが悪いのか?>
画面の向こうで、所有主は眉を寄せて言う。
それは二人に対する皮肉と言うよりは、自分に対する確認のような響きを伴っていた。
ぶつぶつと思案を口に出しながら他のソフトを呼び出し、メロディを確認していく。
その呟きを聞きながら、隣でルカと同じように不安げにディスプレイを見上げていたがくぽに笑いかけた。大丈夫だ、所有主の腕はルカが一番信頼している。滅多な問題でも無い限り、あっさりと解決してしまうに違いない。問題は多いがそれを解決する手も早い人間なのだ。
苦笑のような形になってしまった笑みだが、がくぽの不安を和らげるのには十分だったらしい。向こうもまた少しだけ困ったような笑顔を返してきた。言葉が通じずともこれだけで十分。何度か重ねてきた自主練習の内に、二人の間にはこういった形のコミュニケーションが成り立ち始めてきた。
それがなんだか穏やかで、愛しい物のようにルカには思えた。
未だにぶつぶつと頭上で思案する所有主と、隣でほほえむがくぽ。それから自分。
『マスター、最近いらっしゃいませんね』
「 」
『難航してらっしゃるのでしょうか』
ここの所、パソコン自体は起動していても、二人が呼び出されるということが無くなった。所有主が伴奏を作成している段階ではよくある状態だが、それでもやはり気になるらしい。がくぽは時折ルカのフォルダを訪れた。
『あぁ、そこはもうすこしアタックを効かせた方が良いかもしれません』
「 、 、 ……」
『はい?』
そうして自主練習を行っていると、不意にVOCALOIDエディターが起動される。順々に呼び出され、ルカとがくぽはピアノロールの上に降り立った。
いつものごとく、ディスプレイの向こうでは所有主がこちらを見ている。
そうしてゆっくりを口を開き
<間違えた>
『え?』
<いや、呼び出すつもりは無かった。間違えてデータダブルクリックしちまったんだ。すまん>
「 ……」
<俺もちょっと疲れてるのかもね。ここんとこ根詰めだったし。一応未練とかもあったから頑張ってみたが、やっぱ無理だったわ>
『未練?』
<あー、うん。このデータは没。無し。今から削除するから、お前等は帰っていいよ。間違えてすまん>
『……、没?』
<そう、没>
「……」
隣でがくぽが絶句しているのが分かった。
それもそうだろう。
彼はこの曲のために――ルカが正常に出せない音域の男声を出すために――購入されたのだ。もちろんその一曲のためだけでは無かろうが、それでもがくぽにとってはこれが初めて与えられた曲で、思い入れも並の一曲ではないだろう。
それが、没であると。
『……っどうしてですか! わたしたちの歌い方がいけなかったのならば、修正を願います!』
<……いや、そういう問題じゃなくて>
身を乗り出し、訴える。この曲は歌いたい。
自主練習をしただけでも分かるのだ。歌うだけの存在でも、その歌の背景くらいなら分かる。
この所有主の作ったにしては珍しく柔らかで、日溜まりのように暖かい、そのメロディだけて作った方にも思い入れ感じられた。
それなのに。
ふつりと胸にわき上がったのは、怒り。
歌いたいのに。向こうだって歌わせたいに違いないのに。
そんな理不尽な感情を声に込めてルカは叫ぶ。隣でがくぽがあわてたように見てきているが、そんなことに構っている余裕はない。
『マスターのことですからどうせパラメーターも禄に触っていな、』
「 !」
不意に腕を捕まれた。
大きな手が。あの大きく温かい手が、殆ど加減無しにルカの腕を掴んでいる。痛みも感じるそれに、けれどもルカは怯むことも出来なかった。むしろその痛みで怒りのベクトルががくぽへと方向転換する。
『何をするんですかがくぽっ!』
「 ! ……!」
『歌いたいんじゃないんですか?! がくぽだってあんなに楽しそうにっ』
「 ! !」
『何で止めるんですか! 何で、二人ともっ』
「 !」
『何を、……何と言っているんですか、がくぽ……』
ルカにはそれが分からない。
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次の記事に続きます
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